戦前の結婚マニュアルの白眉、それは性の情報である。といっても、学校の保健体育で習うような生殖のメカニズムでもなければ、四十八手がどうしたというような「性生活の知恵」でもない。性に関して全然無智な処女、つまり全くおぼこい娘は、常人から見れば全く滑稽なほど飛んでもない思ひ違ひをしてゐます。その一例を挙げて見ますと、性交部を臍であると思ってゐる者さへあります。尤もこんな例は年齢の若い者に限りますが、性慾を知り性交部を知ってゐる者でも、性交は一夜中を要するものだとか、一回の性交によって必ず一回妊娠するものだとか考へてゐる者は、純潔な無智な処女の中には沢山居るのであります。(家庭図書刊行会編『結婚礼式一切の智識』一九二八年)花嫁の母が読んだら青くなったことだろう。冠婚葬祭マニュアルの主たる読者は、娘を持った四十〜五十代の母親と推測される。そんな読者に向けた性情報とは、「結婚を控えた娘や息子にしかるべき性教育をしておかないと大変なことになるぞ」という脅しのまじったメッセージだったのだ。
間引きのことをオッカエシとかヒッカエシといっていたことは、いったんあの世に霊を引き戻すという意味があったことを示している。埋葬の場としては川に流すほかに、家の身近な地面の下で、タタキ(上間)、囲炉裏の灰の中、雨垂れの落ちるところ、納戸の窓先、縁の下、厩の土中、味噌樽の下など、場合によっては堆肥の中に入れたということもあったという。この場合の埋葬の場所は、現世と他界との境界点をさしている。流産の場合も、霊魂のすみやかな回帰を祈る気持ちがうかがえる。死産については「その日仏」という言葉があった。すぐ処置をして、霊魂を遠くへ迷って行かないように近くに確保しようとしたのであろう。産褥で母子がともに死んださいには、子どもだけは海へ捨てたという地域もある。片足に草覆、もう一方に下駄をはいて海辺へ行って、帰りには後ろを振り向いてはいけなかった。海に捨てると、土中よりも早く霊魂が回帰するかも知れないという思いがあった。いったん霊魂があの世との境界に行っても、子どものいのちには再生する機会が早く訪れるという思考が基底にあったのである。
会社のパソコンから、仕事上必要な範囲でインターネットを使うのは問題ない。しかしそれに紛れ、ネット通販の申し込みにオークション、ゲーム、ブログの書き込みなど、業務時間中に何気なく私的なネット利用をしている人がけっこう多い。しかし、業務時間は会社の時間。私的なネット利用は「サボリ」であるうえ、端末からウイルス感染、ファイル流出のリスクもともなう。周囲の目があってもなくても、仕事以外でのネット利用は慎むべきだ。今やデスクでの喫煙が許されているオフィスは稀で、愛煙家は喫煙スペースでタバコを吸うようになってきている。会社の規定にもよるが、業務時間中の喫煙スペース利用は基本的には自由。しかしその回数があまりにも多く、デスクよりもそちらにいるほうが長いようでは問題だ。大事な電話が入ることがわかっているときなどは居場所を明らかに。また、喫煙スペースでの打ち合わせは、非喫煙者にはひどくつらいものなので控えよう。